「奥入瀬(ブナの朽木)」からの続きの話です。
あまりに新緑の奥入瀬の気持ちの良さに、
うっとりとなっていたところ、
デジカメの電池が切れてしまいました。
これは困った。
ほかにもまだまだ美しい景色が私を待っています。
意を決して十和田湖方面に引き返します。
果たしてお店はあるのか、こんな早朝7時台に空いているのか?
と心配しながらハンドルを握って十和田湖に戻ると、
お土産屋さんが食堂も兼ねていて、
モーニングサービスでお店が開いていました。
これはラッキーです。
セブンもローソンもコンビには一軒も無いだけに貴重なお店でした。
すぐさま電池を購入します。
充電式の電池で前の晩から充電していたのに何でだろう?
もう古くなって消耗したかもしれない、
これからは気をつけようと思いながら、
電池を購入します。
ああ、良かった、良かった。
ガソリンも、山形からここまで走ってくるとさすがに無くなって、
八甲田の温泉に入浴してから黒石で入れようかと流暢なことを考えていたのですが、
もうカラカラでガス欠を密かに心配していました。
するとモーニングを食べていた親切なお客さんに、
このまま奥入瀬を走って、橋の手前にガソリンスタンドがあるから
そこまで行ったほうがいいよと言われ、
「ああ、なんて十和田湖の人達はやさしいのだろう」と思ったのでした。
ガソリンスタンドまで、あと15キロ。
では、十和田湖からの写真を紹介していきましょう。
2005年5月29日撮影
お土産屋さんの前でまず1枚。
電池バッチリ。
なんでデジカメって、こんなに電池が要るんでしょう?
「おーい、こっちのほうが景色がきれだよ~」と隣で地元のおじさんが私に叫びます。
なんて、おっせかなんでしょう、
でもこういう人って嬉しいです。
そこでもう1枚。
奥入瀬に戻り、喜びながら先ほどのコースを復習したり、
もう少し奥に行って新しい風景に出会ったり。
なんて素晴らしいんでしょう。
こういう写真が好きなんです。
自然の「深遠さ」とか、「永遠の一瞬」などの単語が浮かんできます。
ここまで来ると十和田湖方面からは、だいぶ距離があります。
奥入瀬の奥に分け入っている感じです。
ああ、川は流れ、石にぶつかり、苔となります。
やはり私はブナの巨木の倒木、朽木に興味があるようです。
先日、京都に勉強会に行ったときに「大極図」の深遠なる
世界の講演がありました。
そのなかで中医師の先生がおっしゃったことは、
「死は終わりでありません。死から、また生が始まります。
陰陽の大極図とは、永遠の生命観も表しています」
うーん、そういえば、私はロックファンなのですが、
レッチリのジョン・フルシアンテも雑誌「クロス・ビート」で、
そのような感じのことを言ってたなあ。。
フルシアンテは「死ぬときが楽しみだ」と言っていたので、
やはり感性というか感覚が鋭いというか、
死の淵で霊界と交流してこの世に生還した人間は、
言うことも違うんだなあと思ったわけです。
死と生はつながっている。
このブナの倒木たちも、長い間の生から役目を終えて、
生から死、死から生へと次の世代へ命が輪廻してつながっているのではないか、
そんなことを奥入瀬で肌身に感じたのでした。