ヒメシャガが我が家の庭で咲いてから、もうだいぶ経ちます。
玄関を開けると、いつも目に飛び込んでくるヒメシャガにすっかり癒されていました。
そんなヒメシャガを紹介したいと思います。
<2010年5月25日 我が家のヒメシャガ>
すっかりと緑に季節になった山形です。
青々とした感じがたまりません。
でも今年は残念なことにライラックの木が枯れてしまいました。
芭蕉「奥の細道」 浅香山の沼のかつみの章では、芭蕉が一日中かつみを探したという記述があります。
角川書店ビギナーズクラシックス「おくのほそ道」62ページから引用させて頂きますと「等窮(とうきゅう)の家を出て、およそ20キロほど進むと、檜皮(ひわだ)(現在の福島県郡山市安積町)という宿場がある。そこを少し行くと、歌枕で有名な浅香山(安積山)があり、街道からは近い。また、このあたりは、古歌にあるように沼が多い。今は、かつみを刈る時期も近づいてきたころなので、どの草を花がつみというのか、土地の人々に尋ねてみたが、誰も知っているものがいない。沼のほとりを探したり、人に聞いたりして、「かつみ、かつみ」と尋ね歩いているうちに、日は山の端に傾き、夕闇が迫ってきた。そこで、かつみ探しはあきらめて、二本松から街道を右に折れ、黒塚の岩屋をちょっとのぞいて、その夜は福島に泊まった」とあります。
(角川書店さん、引用させて頂きました。ありがとうございます)
奥の細道のこの章もなんとも味わい深く、芭蕉が一日中「かつみ」を探し歩いたが日が暮れて、結局見付からなかったという喪失感の味わいもある好きな章です。
藤原実方(ふじわらのさねかた)が平安時代に奥州に流されて、五月端午の節句に菖蒲がないので、代わりにこの土地の「かつみ」を軒にさしたという話を思いだしたから、芭蕉は熱心に「かつみ」を探し歩いたのだそうです。
かつみは、「あやめ」の一種を指し、一節にはヒメシャガのことではないか。
という説もあるそうです。
そんなことで、昔から「おくのほそ道」が好きな私にとって火がつく結果となり、ここ数日間は「おくのほそ道」をいつも手元に置いて空き時間があれば、芭蕉とともに元禄二年の世界にタイムスリップしているところです。
ああ、「おくのほそ道」って偉大です。
グーグルもツイッターもココログもブログも情報革命も、グーテンベルグもみんな偉大なことですが、古典の世界はいまだに芭蕉の魂を伝え続けてくれています。
今日は、ヒメシャガと「おくのほそ道」について、ここ最近10日間ほど私の頭を占めている内容を書かさせて頂きました。